今回のアップは
2018年10月2日です。
💖
一連の記事の継続として書いています。
順に読まれますことをおすすめしています。
「西の国で
何か不吉なことが
起こっているのだよ。
その地に赴き、
曇りのない眼で
ものごとを見定めるなら
あるいは
その呪いを絶つ道が
見つかるかもしれない」
『もののけ姫』
~ヒイさまのことば~
上は『もののけ姫』のアシタカヒコが祟り神に呪われた際、ヒイさまに占ってもらって出た答えです。
実は今回の記事の取材に行く前日に次男が『もののけ姫』のDVDを借りてきて見ていたのです。
そして、その翌日には長男が「六甲山に行きたい」と言ったものですから「ピン!」と来ましてその日に行ってきました。ちなみに息子たちは何も知りません。(^^;)
この日は2018年9月24日。秋分の日の振替え休日でした。六甲山は何度も行ったことがありましたが、そのころは何も知りませんでした。のちに瀬織津姫の磐座があることを知りましたが、自分は行くことはないだろうと思っていました。
いつものことながら自分の意思で行くのではなく、呼んでいただいたからお参りさせていただくという感覚です。
六甲山の峠道から撮影した写真です。中腹に見える島が六甲アイランド、その上方に見える小さな島は造成中の埋立地のようです。
六甲山は古代より山岳修行の場として修験者たちが信仰していた山なのだそうです。地獄谷には亜空間トンネルがあってUFOの往来やスカイフィッシュが生息しているのだとか。スカイフィッシュは龍神様なのだそうです。そして六甲山系にある金鳥山はカタカムナ文明ゆかりの地でもあります。六甲山ろくには数々の縄文遺跡があり縄文初期から晩期まで栄えたようです。
驚くべきことに、六甲山麓にある篠原縄文遺跡から遮光器土偶が発掘されたのだそうです。西日本で遮光器土偶が見つかることは大変珍しいそうです。この土偶は津軽の亀ヶ岡の遮光器土偶と同じなのです。ということは、縄文晩期に青森県津軽と兵庫県六甲山とは何らかの交流があったことになります。
『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』ではひのもとの国を追われたナガスネヒコが兄アビヒコとともに東北の地でアラハバキ(荒吐)族となったことが記されています。この遮光器土偶がアラハバキ神だったようです。
東北と関西とのつながり・・・。遠く離れているはずの土地との縁に興味が尽きません。奇しくも、この年の夏の甲子園100回大会決勝が、秋田県金足農と大阪桐蔭でした。
大阪桐蔭、圧倒的強さで史上初2度目の春夏連覇! 金足農と東北勢の初Vの夢叶わず【全国高校野球】
大一番は序盤から動く。主導権握ったのは大阪桐蔭
<最終日 決勝 ○大阪桐蔭13―2金足農●>
第100回全国高校野球選手権記念大会は21日、阪神甲子園球場で最終日を迎えた。決勝戦は、大阪桐蔭(北大阪)が金足農(秋田)を下し、史上初となる2度目の春夏連覇を果たした。(引用以上)
わたしは高校野球がはじまったときから大阪桐蔭が優勝すると思っていました。その理由は、
・生駒山周辺地図
生駒山を本拠地としたニギハヤヒ・ナガスネヒコ復活の現象化として生駒山麓に位置する大阪桐蔭高校が史上初二度目の春夏連覇を遂げるだろうと思っていたからです。なぜなら、この土地(古代大和)はかつて最強だったからです。
古代大和はニギハヤヒとナガスネヒコが手を組んで創りあげたひのもとの国。しかし神武天皇にお譲りしてからは、ニギハヤヒは三輪山に御移りになり、ナガスネヒコは東北に逃れてアラハバキ族となりました。
興味深いのが対戦相手の秋田県立「金足農業高校」です。「金足農」の地元野球部が東北代表としての決勝進出に、とてもうれしく思いました。なぜならば、地元東北チーム=日本最強のナガスネヒコと阿弖流為(アテルイ)の子孫たちの象徴だからです。
「地元東北チーム秋田県立金足農」の暗号を解いていきますと、
「地元東北」=アテルイ=ナガスネヒコ=日本人の始祖
「秋田県」=ニギハヤヒを祀る唐松神社『物部文書』を秘蔵。
「金」=艮の金神=国之常立命(縄文神の祖)
「足」=ハバキは足と言う意味がある=アラハバキ神
「農」=穀物=穀物神=豊受大神=瀬織津姫(縄文女神)
大阪桐蔭高校と金足農業高校の対面はまさに、ともに封印から復活を遂げたご先祖と子孫の対面であり里帰りでもあり、縄文神がそろって甲子園球場に集結された現象でもある。
なによりも、生駒山=ニギハヤヒ山であり磐座がある。
甲子園球場(兵庫県西宮市)の後方にある六甲山=瀬織津姫の磐座がある。
そしてアテルイとモレの首塚が河内にある。
生駒山と六甲山はニギハヤヒと瀬織津姫の御神体です。その間に位置する甲子園球場に東北からアラハバキ神がおいでになったということです。
・阪神エリア周辺地図
この地図に記念すべき夏の甲子園野球100回大会の決勝にすべての役者が勢ぞろいしていたのです。復活した縄文の神々はこのような現象をわたしたちに見せてくださいました。
これはまぎれもなく「縄文神アラハバキとひのもとの国の復活劇」でした。
結果の世界には、必ず原因の世界がある。原因の世界には神々の再会を喜び合う熱いやり取りが繰り広げられていたのかもしれません。
両高校のナインが向かい合ってくださった姿から、ナガスネヒコとアテルイがそろって表舞台・晴れ舞台に華々しく立っているように映りました。
彼らはまぎれもなくヒーローとしてともに活躍したのです。
© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 握手する大阪桐蔭の柿木蓮(左)と金足農の吉田輝星 (c)朝日新聞社
ちなみに、このような記事がアップされていて、笑ってしまいましたよ。
秋田県出身の元乃木坂46生駒里奈(22)が20日、全国高校野球選手権の準決勝で日大三(東京)を破り、秋田県勢として103年ぶりの決勝進出を決めた金足農(秋田)を祝福した。(中略)
生駒はこの日、インスタグラムでも金足農の決勝進出を喜んだ。「あわわあわわわあわわわあわわわあわわわ!! 明日も秋田県民全員で応援しまする!! 金農決勝進出とな、、、、 秋田が熱くなってるよ!!」と興奮気味に投稿している。(引用以上)
なんと、生駒さんが金足農を全力で応援していました。しかも「あわわあわわわあわわわあわわわあわわわ!!」
「あ」と「わ」。これも暗号です。
「あ」と「わ」は六甲山で起こった上古代文明カタカムナ文字の最初と最後。男女の両極を表し、つながる(和合する)という意味があります。ちなみに「あわ」は女性性を意味します。男性性は「さぬき」。
縄文は(あわ)女性性の文明。弥生は(さぬき)男性性の文明。弥生から縄文への転換です。
今年の夏は、史上初の縄文国宝6点が東京国立博物館で展示されました。縄文がこれほど大々的に注目を浴びたのは、有史始まって以来です。これもまちがいなく縄文神(アラハバキ神)復活の現象化のひとつでした。
日本各地から出土された縄文土器が日本の首都に集結されたのです。奇しくもその会場が東京国立博物館の「平成館」でした。平成最後の夏にこのような事象が起きたということは、たいへん示唆に富んだ現象といえます。2018年はこれまで栄華を極めてきた天津神の栄枯盛衰の最末期であり、封印された国津神(まつろわぬ神=アラハバキ神)の完全復活の年です。
さて、六甲山上まで車で上がり、駐車場からは徒歩でまいります。磐座までは結構な登山が必要なのだそうで、今回は中3の長男がついてきてくれました。頼もしい限りです。
駐車場(カンツリーハウス)から10分ほど歩いたところに道しるべがありました。
ここから先は山道です。なんとこの前まで来ると、急に雨が降ってきました。今日は息子と一緒だし、山へ登るのはよそう。そう思って引き返そうと思ったそのとき、雨はピタリと止みました。もしかして「いらっしゃ~い」の合図だったの? 瀬織津姫(龍神様)は水(雨)の神さまですから。
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今回は山の中で虫たちの声がしていたので、BGMとともに、フルスクリーンの画像でごらんください。そのようにするよう直観したので。ここから先は縄文の世界です。
くま笹が生い茂る山道は『もののけ姫』のコダマが案内に出て来てくれそうな雰囲気です。ここが異質な空間であることが印象付けられるのは山道を進むたびに目にする数々の巨石の存在。六甲山麓にたくさんの縄文遺跡があったのは、六甲山系に巨石群がたくさんあることから推察されます。
巨石信仰だった縄文人は六甲山から飛来するUFOや龍神様と交流していたかもしれません。この場所でわたしたちの祖先がとても神に近い存在だったことを思うと、日本人に刻み込まれた縄文遺伝子(Yap遺伝子)が目覚めだしそうな気がします。
神と直接意思疎通を図ることができた縄文の人々は、宇宙人や神的存在を擬人化して土偶を創作したのでしょう。けれども宇宙人の存在を認めたくない日本の権威にとって、縄文ほど封じておきたい文明はないのです。
考古学界にとって縄文を紐解くことはこれまで築き上げてきた学術的権威がひっくり返されるかもしれない邪魔な存在だったに違いありません。
縄文を排除するのは権威ある学界の座にいる方々が弥生の血脈の方々だからです。そんな事情があって縄文は世界では大変評価されてきたのですが、日本では長らく学術的価値は認められなかったのでした。
わたしはかねてから、土偶をわざわざ破壊してバラバラの地点に埋めらた理由が気になっていました。考古学界では「死と再生」の祈りを込めた祭祀的な意味合いがあったとされています。しかしわたしにはこの解釈があまりにも浅薄でありきたりなものに思えてならなかったのです。
権威ある学者さんの見解は日本のスタンダードですから、もちろん教科書にもそのとおり記載されます。学校で歴史を教わった子どもたちは何の疑いもなく先生の教えることを鵜呑みにするでしょう。そして一度インプットした知識はたいていは生涯維持され続けます。
一方で、考古学において革新的な見解や新たな発見を学界で発表したものなら、総スカンを食らって排除されてしまう。・・・しかしこれが現実です。残念ながら世界に誇るべき日本の縄文文明の真の姿が権威に阻まれてしまっているために正しく知らされることはないのです。
縄文文明は女性であることだけで尊敬されていました。土偶がすべて女性なのはいのちを生み出す創造神と見ていたからに他なりません。いのちの誕生をもっともよろこび、亡骸は屈葬という胎児のような姿勢で大切に葬られていました。実際は亡骸をバラバラにしたわけではなかったのです。
いのちの誕生は先祖の魂の蘇りだと知っていた縄文の人々は、死を恐れることはなかったはずなのです。死はいのちの根源への里帰りだからです。縄文の人々は霊体こそ主体であり、肉体は魂の乗り物に過ぎないことを知っていたはずです。このことから土偶がバラバラにされた理由が「死と再生」と解釈することに違和感を感じるのです。
わたしはこの記事を書きながら縄文の人々がどんな思いで土偶を破壊したのだろうと深く思いを馳せてみました。すると、夫からの暴力、児童虐待、新生児の遺棄、強姦、殺人など今では特別珍しくなくなってしまった子女への凄惨な暴行の数々が思い浮かびました。
わたしはそのとき、縄文のご先祖たちは何千年後かの未来にこのような地獄の世界が現象化することを知っていたのかもしれないと思いました。同時に、彼女たちの子孫を思う深い愛が感じられて涙があふれてきました。
縄文のご先祖たちは、いつか子孫が本当に肉体を破壊してしまうであろうことを察知していたのでしょう。霊性と肉体、神と人。これらが分離してしまうことを知っていたと思えてならないのです。
神への崇敬の思いを込めて作った土偶をわざわざ破壊してバラバラにし、別々の場所に埋めることを繰り返し繰り返し、縄文中期から晩期にかけて日本列島くまなくその行動様式を広げることで、未来に起きる暗黒時代を警告してくださっていた・・・。この思いははらはらと流れ落ちる涙とともに確信に至りました。
縄文のご先祖たちはテレパシー能力を失ってしまった未来の子孫のために、物質を破壊し、バラバラに埋めることで具体的なメッセージを行動で示してくださっていたのです。
そして、暗黒時代は本当に神をバラバラにして埋めて封印し、人間の霊と肉もバラバラに分離するようになってしまったのでした。土偶は神と人をバラバラにされてしまうことの警告だった。それを神話で暗示していたのが、かの「神武東征」だったのです。
わたしは神武天皇が紀伊半島に住み着いていたナグサトベとニシキトベのふたりの女酋長を惨殺してバラバラにして埋めたことと、宇陀の族長エウカシの亡骸をバラバラにしたことが土偶と共通することに気づいていました。
土地を奪いに来た神武が「死と再生」を祈るために女酋長をバラバラにして埋めたとは到底考えられません。むしろ祟りを恐れたか、あるいは肉体をバラバラにしてさえおけば二度と復活できないと考えての行為だったのか。肉体を滅ぼしてしまえばすべては消滅するという物質的価値観だったからこそできた行為だったとしか思えないのです。
*この巨石は「心経」が刻まれてしまったことをとても嫌がっていますね。
縄文の人々は未来を見通す目をもっていた。日本人(縄文人)を創造し、育て、国土を開拓し、稲作をはじめ様々な分野を開発する知恵を与えてくれた種族(縄文神)とは別の種族(天津神=異星人)の襲来により、縄文の神々が封印され、神と人が分離してしまう時が訪れることを察知していたのでしょう。
縄文の総大将の神・国之常立命さまは『日月神示』でこのようにお伝えされています。
『日月神示』
地つ巻
第六帖
「神の国
八つ裂きと
申してあること
いよいよ近づいたぞ、
八つの国
一つになりて
神の国に攻めて来るぞ。」
『日月神示』
岩の巻
第十一帖
「誰の苦労で
此の世出来てゐると
思ふてゐるのぢゃ。
此の世を
我がもの顔にして御座るが、
守護神よ、
世を盗みた世であるくらゐ、
わかってゐるであらうがな。
早う元にかへして
改心いたされよ、
神国(かみくに)の王は
天地の王ざぞ、
外国(とつくに)の王は
人の王ざぞ。
人の王では
長う続かんのぢゃ。
外国にはまだまだ、
きびしいこと
バタバタに出て来るぞ、
日本にもどんどん出て来るぞ。」
神を失ってしまったわたしたち日本人は自我と欲をもとに生きた結果、ご先祖様の警告のとおりになってしまいました。
その反作用なのか、不妊が深刻な問題としてある一方で、中絶が16万8千件もある現実(平成28年度)。世界的に見ても日本人の少子化は凄まじく、このままいけば日本人が滅んでしまう。
少子高齢化は弥生の国策プログラム。すなわち『記紀』が意図する日本民族滅亡プログラム。神話に登場する女神がことごとく陰部を突いて死んでいるのは子孫断絶の暗示です。
神武天皇が日本文明の中心を侵略し、ことごとく縄文人を惨殺していったのは日本民族を滅ぼしたかったからに他なりません。
平安時代にはナガスネヒコの子孫・アテルイが守ってきた縄文・日高見の国は、桓武天皇がついに滅ぼしてしまいました。
けれど日本民族は滅ばない。なぜなら渡来人を一度も滅ぼさなかったから。やったことは自分に跳ね返る。復活するのは国を譲った国津神。滅ぶのは縄文を滅ぼしてきた天津神、すなわち天皇家。
そして2018年に史上初の縄文国宝6点すべてが日本の中枢に集結した現象は、バラバラに埋められて封印された縄文の神々の真の復活であり、天津神の世の終焉こそが二度目の「天の岩戸開き」なのです。
ここが瀬織津姫の磐座です。天にそびえたつ巨大な磐座に圧巻です。
神は山。神は岩。神はいつも人間を見下ろしている。人間のなんと小さきことか。
磐座信仰は縄文の祈り。自然を崇敬していた時代の信仰は立派な社殿も鳥居もしめ縄もありませんでした。
縄文の人々は巨石や巨木、瀧や山といった自然物に直接祈りをささげ、人間よりもはるかに悠久の年月を経てきた石や木のもつ強力なフォース(石・木=意識エネルギー)によって願いをかなえてもらっていました。
縄文には現世利益という概念がありませんでした。個人的願望もありませんでした。神々からの恵みに感謝し、生活様式が祈りでした。自我がないので自分は「みんな」の中に抱合されていました。なぜなら生命の根源はひとつであり、生命は根源から万物に分かれたことを知っていたからです。ゆえにすべてがひとつであることを知っていました。それが帰一。
瀬織津姫の磐座はママ(地球)の石(意思)。ママの上に子どもたちがいるよ。子どもたちが「人間が来た~」って笑ってのぞいているよ。ママの子どもたちは鉱物・植物・動物・人間たちみんなのことなんだよ。ーーそんな気がしてきました。
わたしも息子とともにこの磐座を見上げている。瀬織津姫はわたしに母と子が一緒にここへ来るようにおはからいになったのでしょうか。
瀬織津姫は豊受大神と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)としても祀られている。この神々は食物・穀物の神。農業の神。つまり、瀬織津姫は水の循環システムにより穀物を育み、動植物や人間の食べ物を与えてくださる地母神だったのです。
瀬織津姫はいのちを育む水の神。大洪水を起こす一面もある鬼と恐れられ封じられてきた縄文の女神。
その対となるのが太陽神であるニギハヤヒ。万物に分け隔てなく太陽の光を与えて続けてくださる慈悲深き神。
すなわち「天と地の神」とは、ニギハヤヒと瀬織津姫。つまり本当の天照大神(和魂と荒魂)とは天と地を統べる神。「統べる」の真の意味はヒエラルキーの頂点に君臨して支配することではないのです。
『日月神示』
雨の巻
第二帖
「天の大神様は慈悲深くて
何んな偉い臣民にも底知れぬし、
地の大神様は力ありすぎて、
人民には手におへん見当取れん、
そこで神々様を此の世から追い出して
悪神の云ふこと聞く人民許りと
なりてゐたのであるぞ。」
岩の巻
第三帖
「天地引くるめて
大建替いたすのぢゃ。
天地のビックリ箱とはそのことざぞ。
間違ひ出来んうちに、
間違はん様
気つけて下されよ。
出来てからは、
いくら泣いても詫びしても
後へは返せん。
この方でもどうにもならん
元のキの道ぢゃぞ。
くどう気付けておくぞ。
これまでは
道はいくらもあったのぢゃが、
これからの道は善一筋ざぞ。
インチキ神の前には通らんのざぞ、
心せよと知らしてあらうがな。
三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。
まことの集まりが神徳ぢゃ、
神徳つむと、
世界中 見えすくのざぞ。
神だけではこの世の事は
成就せんと申してあらうがな。
神がうつりて成就さすと
申してあろうがな。
こんなことこれまでにはなかりたぞ。
二月十六日、一二 」
世の中が逆さまになったことで人はやがてもともとの親神様を忘れ、人間が作り出した宗教の神を拝むようになってしまった。その結果、宗教戦争が幾千年も続いて今に至ります。
宗教には「異質な者は排除せよ」と言う教えがあるのでしょうか。「異質なものは弾圧して滅ぼしてしまえばよい」と考えるのは悪魔の教えだというのに。
国之常立命様はこのようにお伝えされています。
『日月神示』
「空の巻」
第八帖
「悪も元をただせば善であるぞ、
その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、
悪憎むでないぞ。
憎むと善でなくなるぞ、
天地濁りて来るぞ。」
梅の巻
第十一帖
「日本の上に立つ者に
外国の教伝へて
外国魂に致したのは
今に始まった事ではないぞ、
外国の性根入れたのが
岩戸閉めであるぞ、
五度ざぞ、
判りたか。
それを元に戻すのであるから
今度の御用中々であるぞ、
中つ枝からの神々様には
判らん事ざぞと申してあることも
ガッテン出来るであろがな。
この神示肚に入れて居れば
どんなことあっても
先に知らしてあるから
心配ないのざ、
ソレ出たとすぐ判るから
胴すわってゐるから
何事も結構におかげ頂くのざ。
死ぬ時は死んだがよく、
遊ぶ時には遊べ遊べ、
嬉し嬉しざぞ。
十一月十六日、
ひつ九のか三。」
古代より先人たちはこの地で修行し、無我になることで縄文の神の御神徳を得ようと励んだのでしょう。なぜなら縄文の神は自然の神。自然現象を起こす力は驚異的であり、人間は自然には到底かなわないと悟らざるを得ないからです。
神様は大峠を越せるように身魂を磨いておいてくれと何度もお伝えされています。身魂磨きとは自我意識を統合意識に変換するということです。統合意識は縄文遺伝子を目覚めさせるための必須条件だからです。縄文遺伝子を目覚めさせておかなければ、縄文の神と同調できないからです。
大峠を越えたあとは、縄文神と縄文遺伝子を目覚めさせた日本人が先導者となって協同創造(国づくり)していく。わたしはそう感じます。それが二度目の「岩戸開き」なのだと。
*自我意識を統合意識に変換するとは?
『日月神示』
梅の巻
第六帖
「雨の神、
風の神、
岩の神、
荒の神、
地震の神、
百々八百万の神々様
御活動激しくなったぞ、
人民
目開けておれん事になるぞ、
出来るだけおだやかに致したいなれど、
判りた臣民
日々おわびお祈り結構致し呉れよ、
大峠となりてからでは
いくら改心致しますと申しても、
許してくれと申しても、
許すことは出来んから、
日本には日本の守護の神、
支那には支那、
外国には外国の
それぞれの
守護の神あること忘れるなよ。
神々様
持場々々清めて呉れよ。
御役結構ぞ。
十一月十六日、
ひつ九の神。」
この磐座は奇妙な位置に坐しています。もしかすると天から降りてきたのかもしれません。縄文文明の波動はとても精妙で軽かったので、磐座自体が宇宙船のように空を飛んでいたのかもしれません。そして磐座も軽くて柔らかかったのかもしれません。
磐座にはそれぞれのお役目があるように感じられます。この磐座は左右に分かれていますが二つでひとつであることを教えてくれています。この三次元物質世界は二元性の世界。右脳と左脳、霊性と物質、男性性と女性性を統合することこそが、この地球で体験させていただく最重要事項なのです。
帰り道、この石さんに呼びかけられたような気がして写真を撮りました。この位置から見ればまるで亀さんのようです。左側面は包丁で切ったような形になっています。下はその面を正面にした位置です。
まあ、なんとおやさしいお顔をなさっている石さんなのでしょう。まるでおもちのような形をしておられます。きっと日本人の祖先を養い育ててくださったのかもしれません。そして今なお、人間を見守ってくださっているのだと思います。
『日月神示』
五十黙示録
星座の巻
第十七帖
「土のまんぢうと申してあろう、
土が食べられると申してあろう、
土から人民を生んだと申してあろう、
ウシトラコンジンの肉体は
日本の土ざと知らしてあろう、
土に生きよと申してあろう、
地は血(智)であるぞ、
素盞鳴命様であるぞ、
その土が生長して
果ての果てに皮をぬぐ、
それが地変であるぞ。」
神様は人間は土から作ったとおっしゃっています。わたしは子どもの頃、家の土壁をむしって食べていました。(^^;)マネシナイデネ! いろいろな土壁の味を食べ比べていました。当時自分の異常さを誰にも見られないように隠れて食べていましたが、実際に土食文化はあるようです。妊娠中に土を食べたくなる人もいるそうです。(^^;)ホッ。
地球は珪素でできています。すなわち土は珪素です。元素記号は Si(シリカ・シリコン)です。人間の皮膚、筋肉、内臓、骨、血液などのすべてを構成するのに必要な元素も珪素なのです。人間が土で作られたというのはある意味で本当なのです。珪素を最も多く必要とする器官が松果体です。松果体は縄文人はとても発達していました。その働きはテレパシーや第三の目、直観を関知することです。
珪素の結晶は水晶です。人間の身体は炭素で出来ていますが、自我を浄化して精妙な周波数になるにつれてクリスタル化するそうです。珪素は山道にたくさん生えているくま笹にも豊富に含まれています。
そして珪素は血液中の「ソマチッド」という不死身の超微小生命体でもあるのです。興味のある方は調べてみてください。このソマチッド、自我が強い人間からは体外へ逃げてしまっていなくなります。がん患者の血液にはソマチットはいないのです。
森羅万象は生命で満ち溢れている・・・。
秋の巻
第二帖
「人民は土でつくったと申せば、
総てを土でこねて
つくり上げたものと思ふから、
神と人民とに分れて
他人行儀になるのぞ。
神のよろこびで土をつくり、
それを肉体のカタとし、
神の歓喜を魂として
それにうつして、
神の中に
人民をイキさしてゐるのであるぞ。
取り違ひせんように致しくれよ。
親と子と申してあろう。
木の股や土から生れたのでは
マコトの親子ではないぞ。
世界の九分九分九厘であるぞ。
あるにあられん、
さしも押しも出来んことが
いよいよ近うなったぞ。
外は外にあり、
内は内にあり、
外は内を悪と見、
内は外を悪として考へるのであるが、
それは善と悪でないぞ。
内と外であるぞ。
外には外のよろこび、
内には内のよろこびあるぞ。
二つが和して一となるぞ。
一が始めぞ、
元ぞ。
和して動き、
動いて和せよ。
悪を悪と見るのが悪。」
磐座の神々は人間たちに思い出してほしいのです。太古の時代から人間は神々から養い育ててもらってきたことを。縄文遺伝子は覚えています。今の世界の価値観から脱却し、自我を変換してゆけばきっと記憶を取り戻せるはず。それが感性の再活性、つまり縄文の復活なのです。
このページの執筆中は、台風24号が日本列島を通過中でした。不思議なのですが、HPを書いているときは台風が来ていることが多いのです。
10年に一度の大災害が、毎月やってくるようになりました。9月は台風が2つ来ました。「上下グレン」の大峠はこれから本格的にはじまるのでしょう。いつ、何が起きても悔いのないように、まずは何よりも自分自身の自我を浄化しておくことが肝心です。
さて、「リュウと春麗の神結び」シリーズは・・・これで終わりではなさそうです。(^^;)