其の兆 藤と秦氏と天皇と。舞台は古戦場から古戦場へ。


 

唯一わかったことがある。

 

それは

 

「自分は何も知らない」

 

ということ。 

 

そして

 

万象万物、

 

八百万の神々から

 

常にサポートをいただき続けてきた。

 

ということ。

 

何千年も

 

何万年も

 

何億年前から。

 

そして今も、これからも。

 

ただただ感謝あるのみ。

 

~そま~

 

 

 

 

 今回のアップは

 

2018年10月28日です。

 

💖

 

 

ここまでたどり着いてくださった皆さま、まことにありがとうございます。本当に直観と体験と偶然を装ったシンクロに導かれてここまで続いてまいりました。

 

 

「リュウと春麗の神結び」シリーズも其の一から其の兆まできてしまいました。実はこのシリーズには数字にひふみ祝詞が隠されていました。

 

 

ひふみよいむなやこともちろらね。

一二三四五六七八九十百千万億兆。

 

 

ひふみ祝詞はニギハヤヒの祝詞です。ニギハヤヒは三輪山に御鎮座され、大物主として祀られています。三輪山は縄文の祭祀形態をとっており、本殿を設けず「三ツ鳥居」が設けられています。「三ツ鳥居」の起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、神聖視されてきたそうです。

 

 

三輪山についてはここに書きました。リュウと春麗の神結び   其の一  (新しい時代の幕開け。それは「神化への道」)

 

 

わたしはストリートファイターシリーズの終点Ⅲ3rdの春麗さんのエンディングに「三ツ鳥居」が刻印されていたことを見つけてしまいました。下は奈良の三輪そうめんのシンボルである三輪山の「三ツ鳥居」です。

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三輪そうめんの登録商標「三ツ鳥居」

 

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ストリートファイターⅢ3rd春麗さんのエンディングより。

 

ストⅢ3rd春麗さんのエンディングの画像には、三ツ鳥居が描かれています。春麗さんの故郷は縄文だった。カプコンさんの暗号化は完璧ですね。やはり春麗さんは正真正銘の縄文の女神さまだったのです。

  

 

鳥居に封印されし女神を解き放て!合言葉は「その名を呼べばよみがえる」


2018年8月の某日、夢を見ました。その場所は「神武東征」古戦場付近にある小さな神社「水神宮」でした。「水神宮」は下の赤印にあるとおり、生駒山中にあります。

 

 

ここは神武天皇孔舎衛坂顕彰碑(リュウと春麗の神結び   其の十)に行った際に、地図で存在を知ったのですが、山の中だしご参拝させていただくこともないと思っていました。

 

 

水神宮の御祭神は調べてもわからないのですが、水神というのだから察しがつきます。この日は黄色丸印を付けた神社もご参拝させていただくことになったのでした。

 

生駒山周辺地図
生駒山周辺地図
車谷  水神宮に向かう道(筆者撮影)
車谷 水神宮に向かう道(筆者撮影)

 

この日は夫にクルマで連れて行ってもらいました。ここから先は車が通れませんのでひとりで歩いて行きました。

 

車谷 水神宮へ向かう道(筆者撮影)
車谷 水神宮へ向かう道(筆者撮影)

 

赤い鳥居が見えます。薄暗い山道へと続くようです。

 

車谷 水神宮参道(筆者撮影)
車谷 水神宮参道(筆者撮影)

 

赤い鳥居がいくつも続いている。ということはお稲荷さんなのでしょうか。 わたしは生まれてこの方一度もお稲荷さんにご参拝したことはありませんでした。

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

たしかに狐(動物霊)は人間の欲望を叶えてくれる。現世利益の即効性は確かにある。けれどもそれ相応の対価をお返ししなければ本当に祟られます。お稲荷さんを祀っている家は末代まで祀らなければ祟られるというのは本当のことなのです。

 

 

そのお稲荷さんに、これからご参拝させていただくことになるなんて・・・。自分の意思では絶対にここへ来ることはなかったと思います。毎回このようなことを書いていますね。(^^;)

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

道沿いに川が流れていて、小さな滝がありました。まるで龍の口から水が出ているようです。

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

祠が見えてきました。 空はとても晴れているのにここは木々に遮られて薄暗く不気味な感じがします。水神の祀られている神社はなぜ人気もなく薄暗くて不気味な感じがするのでしょう。京都の貴船神社は今でも丑三つ時参りに呪いの藁人形を打ち付けに来る人がいるそうですし。(貴船神社の御祭神は水神と磐長姫)

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

水神宮の拝殿の前に来ると日差しがまぶしく差し込んできました。この場所で太陽の光が差し込んだのはこのときだけでした。おかげさまで心細かったのが心強くなってきました。神様ありがとうございます。

 

 

水神宮の御神体は磐座。御祭神はどこにも書かれていませんでした。わたしは瀬織津姫さまの御神名を三回心の中で唱えてこれまでの感謝を申し上げました。

 

 

ここは生駒山系の日下山。つまりニギハヤヒ山に祀られた謎の水神といえば瀬織津姫に違いないと思ったのです。封印されし神の本当の名を呼べばよみがえる。。。

 

末吉大明神(筆者撮影)
末吉大明神(筆者撮影)

 

水神宮の隣に「末吉大明神」と銘打った祠があり、狐さんの置物がありました。やはりここはお稲荷さんだったのです。御霊屋は赤い鳥居と赤い柵で囲われていて厳重に封じられているような印象がありました。

 

 

実のところ、お稲荷さんというのは狐の神様ということではありません。稲荷の主祭神は宇迦之御魂(ウカノミタマ)大神であって、狐はそのしもべに過ぎません。

 

 

わたしはお稲荷さんに「私は〇〇在住の〇〇と申します。ウカノミタマの大神様に感謝をお伝え申し上げたくご参拝に上がりました。お取次ぎをお願い申し上げます」とお伝えしました。自己紹介はどこの神社の神様にもお伝えしたほうがいいようです。

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

稲荷=稲が成る=五穀豊穣=穀物神=ウカノミタマ=トヨウケ(豊受大神)すなわち外宮の御祭神であり、その正体は瀬織津姫です。

 

 

狐さん(動物霊)は願いをかなえてくれるけれども必ず対価をお供えしなければなりません。そして自我意識のままでは御祭神に通してくれません。さしずめ番犬ならず番狐というわけなのです。

 

 

要するに、人間の欲望を稲荷社でお祈りすると、御祭神のウカノミタマ大神に通じる前に、狐がその欲望を聞き対価を要求されるということです。要するに狐さんはやくざ屋さん的存在なのです。

 

 

稲荷社は狐さんを通さずにご参拝することはできません。ゆえに、狐さんの御主人様であるウカノミタマ大神すなわち瀬織津姫と御神縁を結んでおくことが必要なのです。

 

 

肝心なのは、この神様とは自我意識では共振することはできないということです。

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

水神宮の磐座です。その周辺にはいくつかの石碑が立っていました。ここは神様だけでなく、仏様もいらっしゃるようです。

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

生駒山にはこのような石碑がたくさんあることに気づかされます。八百万の神というのはありとあらゆる万象万物に宿る神という意味なのです。

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

ところで稲荷神社には赤い鳥居が幾重にも並んでいるのは何故?

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

   

稲荷神社の総本宮は伏見稲荷大社。 そこの鳥居は千本鳥居といわれています。そして稲荷大社を創設したのは神武天皇とともに大陸から渡ってきた秦氏。彼らは地位名誉財力を求めず天皇家を裏から動かしてきた神道奥義を司る叡智集団。秦氏をたどれば古代ユダヤとつながるといわれていて、謎に満ちた一族なのです。

 

 

その秦氏が稲荷神社を創設した意図は? この国のもともとの皇祖神(天照大神)はニギハヤヒと瀬織津姫。太陽と水の神。すなわち自然の神。縄文の神。

 

 

この国に大陸の文明を持ち込むためには自然の神を封じる必要があったとしたら? 自然界の中でもっとも威力ある水の女神を特別に封じておきたかったとしたら? 

 

 

そのためには水の神・瀬織津姫の名を書き換え、幾重もの鳥居で封じて結界を張り、動物霊を門番として拝殿に祀れば人は縄文の神とつながることはできなくなる。そうすれば人は神を忘れていき、集合無意識から縄文の神の存在が消去されていく。そして人間が自然を破壊して文明を築いてゆくことになっていったのです。

 

 

『日月神示』

 

雨の巻

 

第二帖

 


「天の大神様は

 

慈悲深くて

 

何んな偉い臣民にも

 

底知れぬし、

 

地の大神様は

 

力ありすぎて、

 

人民には

 

手におへん見当取れん、

 

そこで神々様を

 

此の世から追い出して

 

悪神の云ふこと聞く人民許りと

 

なりてゐたのであるぞ。

 

七五三(しめ)は

 

神々様をしめ込んで

 

出さぬ為のものと

 

申してある事

 

これで判るであろがな、

 

鳥居は

 

釘付けの形であるぞ。」

 

 

 

車谷 水神宮(筆者撮影)
車谷 水神宮(筆者撮影)

 

鳥居は本来清浄な神域を俗世の穢れや魔物から守る結界として機能しているといわれている。けれど瀬織津姫は「祓度四神」筆頭の祓い清めの水の神。

 

 

大陸の文明(右回転システム)を持ち込みたい者にとって縄文神(左回転システム)は右回転システムを反転させる祟り神となる。津波や大洪水で物質文明を洗い流すことができないように秦氏によってこの神は封じられたのかもしれない。

 

 

要するに稲荷は怨霊信仰(左回転システムの封印)というわけなのでしょう。ちなみに稲荷神社は伏見稲荷大社を総本宮にして全国に三万社以上あるそうです・・・。

 

生駒山周辺地図
生駒山周辺地図

 

水神宮を出た後、立ち寄りたいと思っていたところがありました。同じ生駒山中にある大阪稲荷山神社です。

 

大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)

 

「当社は

 

総本宮伏見稲荷大社より、

 

御分霊を授かり、

 

守護神としています。

 

稲荷勧請(かんじょう)と称しています。

 

稲荷大神とは

 

宇迦之御魂大神、

 

佐田彦大神、

 

大宮能売大神、

 

田中大神、

 

四之大神の

 

五神を

 

正一位五社稲荷大明神

 

と総称された御名です。

 

(以下省略)」

 

 

ここは動物霊園として造成する前は荒れ果てていて、神社境内も壊れていたのを再建したのだそうです。

 

大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)

 

以前、生駒山中にある「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」

にご参拝した帰りに道案内してくださったのがここ「大阪稲荷山神社」でした。阪奈道路の峠道をショートカットしてガードレール下を降りたらこの神社があったのでした。当時はお稲荷さんにたどり着いてしまったことに戸惑い、御礼もそこそこに立ち去ったので、いつかきちんと御礼を申し上げたいと思っていたのでした。

 

大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)

 

数々の狐さんが門番をされていました。

 

大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)

 

さらに拝殿にも狐さんが。お稲荷さんだから当然なんですけれども。あらためてご参拝させていただきました。

 

大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)

 

拝殿の右下には御神体の瀧がありました。ここは狛犬さんなのですね。

 

大阪稲荷山神社から大阪平野を望む(筆者撮影)
大阪稲荷山神社から大阪平野を望む(筆者撮影)

 

瀧の向かい側には大阪平野が一望できるようになっていました。地上300mの日本一の超高層ビル「あべのハルカス」が見えます。(画面中央やや左)ちなみにカプコンさんの本社は地平線上で真ん中あたりに位置しています。大阪城の向こう側なのですが見えなくて残念です。

 

生駒山周辺地図
生駒山周辺地図

 

さて、用は済んだことだし、来た道を戻ろうとしたときに、夫が通りすがりにある神社に気が付いて「行ってみたら?」と言ってくれたので立ち寄ることにしました。地図上にある「須波麻神社」です。

 

須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)

 

祭神は大国主命、

いい伝えでは当社の祭祠は出雲大社と同体で、

古くは十月七日に大祭をしていたという、

現在の社殿は明治三六年(1903)に建立されたもので、

拝殿うしろの本殿は春日造りの様式である。

以下略。

 

 

ここの御祭神は大国主なのだそうです。かつて北河内一帯は讃良(さらら)郡といわれていて、持統天皇の幼名がついていました。その讃良郡で神社合祀されてこの神社が産土神社とされたようです。そもそも生駒山は出雲系なので、大国主が祀られていることは何ら不思議ではありません。

 

須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)

 

拝殿には龍がいました。しめ縄が龍と同じ姿をしています。

 

須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)

 

なんと、本殿の左横には稲荷大明神が祀られていました。ここにも狐さんが。

 

須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)
須波麻神社(筆者撮影)

 

なんとなんと、本殿の右横には別の稲荷大明神がありました。大国主の両隣に稲荷大明神が祀られている。ニギハヤヒを大国主に御神名を変え、瀬織津姫はウカノミタマとして稲荷信仰に形を変えられたのかもしれません。神の存在を消すことはできないので、このような形で元の神の存在を消していったのでしょう。

 

生駒山周辺地図
生駒山周辺地図

 

さて、今度こそ生駒山からお別れしようと思ったとき、「善根寺春日神社にご参拝させていただかなくては」という思いになりました。昨年の文化の日(2017年11月3日)に安岡正篤先生旧宅を訪れようとしたときに、スマホが接続不可になってしまい迷子になったときに導かれたのが春日神社だったのです。その当時のエピソードはここに書きました。リュウと春麗の神隠し その10(そして「新たなる王道」へと・・・。) 

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

ここは神武東征の古戦場登り口となる神社でした。まったく知らない神社でしたが、神様に導かれて何回も訪れることになった神社です。今回は夫も一緒にご参拝させていただきました。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

なんと! ここはいつも誰もいない神社なのに、たくさんの氏子さんらしき地元の方々が集まっていました。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

なんとだんじりの格納庫が解放されていました。神様を拝謁させていただいたみたいでなんか感動・・・。

 

わたし「だんじりの写真を撮らせてもらっていいですか?」

 

おっちゃん「ええよ~。いちまいひゃくえんやで~(笑)」

 

というお約束を交わして写真を撮らせてもらいました。さすが河内のおっちゃんやわ(笑)

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

いつもはひっそりしている神社が氏子のおっちゃんたちでにぎわっていました。わたしたちが神社を散策していると、おっちゃんが来て「これ飲み」とポカリのペットボトルを二本くださいました。(*^^*)アリガトウゴザイマス!河内のおっちゃんは初対面の人にもとても気さくで親切なのです。わたしはだんじりを見て「お祭りがあるんですか?」と聞いたら、「お祭りと違(ちご)て今日は打ち合わせだけやねん」と言うてはりました。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

牛さんもその様子をじっと見ているようでした。古戦場の石碑が移動していました。ここの神社は、河内国一之宮・枚岡神社の分霊をお祀りしています。牛さんはスサノオのシンボルなのです。

 

春日神社(筆者撮影)

善根寺春日神社(筆者撮影)

 

ここでは大阪で唯一造酒神事が行われていて、元春日・枚岡神社にお神酒を御奉納することになっています。スサノオは御酒の神様でもあるのです。ここは春日神社でありながら、出雲系の神々が祀られていたのです。

 

春日神社(筆者撮影)

善根寺春日神社(筆者撮影)

龍の口霊泉(筆者撮影)
龍の口霊泉(筆者撮影)

 

造酒に使われるお水は、生駒山中にある「龍の口霊泉」のお水です。

 

龍の口霊泉(筆者撮影)
龍の口霊泉(筆者撮影)

 

生駒山中にある「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」の近くにある「龍の口霊泉」は、2018年8月の台風による倒木によって通行止めになってしまったようです。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

ここの御祭神は天児屋根命(アメノコヤネ)、比売神(ヒメカミ)、武甕槌命(タケミカヅチ)、経津主命(フツヌシ)の四柱とされています。現在は神武天皇も含め13柱がご祭神とされています。そしてやはりここにも稲荷社が複数祀られています。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

祠の中には狐さんの置物がちらり・・・。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

そして、ここはもう一つ別の稲荷が祀られているのです。直越稲荷です。

 

善根寺春日神社「直越稲荷」(筆者撮影)
善根寺春日神社「直越稲荷」(筆者撮影)

 

ここは隠されるようして祀られていました。生駒山には稲荷社がたくさん祀られているということは、もともと瀬織津姫が祀られていたということです。

 

善根寺春日神社「直越稲荷」(筆者撮影)
善根寺春日神社「直越稲荷」(筆者撮影)

 

ここは古くから生駒山直越えの道として交通に使われた道。ここ孔舎衙くさか坂から水神宮を通って日下くさか直越えの道へと続くようです。神武天皇はここから生駒入りされたのですが、ナガスネヒコに撃退されてしまうのです。

 

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

御神体の巨石の向こうには十六菊花紋の祠が祀られています。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

本殿横から見た写真です。御神体はそのまま生駒山であることがわかります。本殿には白鹿の絵が描かれています。春日神社といえば鹿。鹿といえば武甕槌命(タケミカヅチ)の神使。わたしはこの神様の正体はニギハヤヒと思えてならないのです。

 

 

 善根寺春日神社(筆者撮影)

 

武=もののふ=もののべ

甕=かめ=亀=出雲

槌=大国主

鹿=アイヌ語でイコマ(生駒)は「鹿が群れている」という意味。

 

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『もののけ姫』パンフレットより(筆者撮影)

 

元春日に「なで鹿」さんがいます。親鹿が仔鹿をやさしく慈しむ姿が印象的です。なで鹿さんの御祭神はやさしい神様であることが伝わってきます。

 

 枚岡神社(筆者撮影)

枚岡神社(筆者撮影)

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影) 
枚岡神社(筆者撮影)

枚岡神社(筆者撮影)

 

つまり武甕槌命=タケミカヅチの正体はニギハヤヒなのです。戦わない神の武神としての一面がタケミカヅチなのです。

 

 

タケミカヅチは国津神。国譲り神話ではアマテラスに最後の切り札としての役目を命じられました。タケミカヅチは十束とつかの剣を波の上に逆さまにに突き刺して、切っ先の上に胡坐をかいて大国主と交渉したのでした。剣を武器として使わず、自分自身に刃を向けた神さまなのです。

 

 

そして神武東征の際も、タケミカヅチはアマテラスに依頼を受けます。神武が無事に吉野の山越えを果たせるよう、アマテラスが国譲りの際に見事な働きをしたタケミカヅチに「再び降臨して助けよ」と命じられますが、タケミカヅチは「自ら降臨せずとも剣の布都御魂(ふつのみたま)を神武に授ければよい」と高倉下(タカクラジ)に運ばせたのでした。ちなみに布都御魂(ふつのみたま)は物部氏の本拠・石上神宮の御祭神として祀られています。

 

布都御魂=ふつのみたま=ふつぬし=経津主=香取=地震・雷・武道の神=ニギハヤヒ。つまり、経津主の正体もまた武甕槌命と同様、ニギハヤヒの分霊ということです。

 

 

ここで気づかされるのは、国津神であるにもかかわらず、武甕槌はアマテラスに二度もはたらきを命じられ裏切者の切り札役にされているということです。そして神武東征のクライマックスではニギハヤヒとして登場するも、ナガスネヒコを惨殺して神武に帰順したことになっています。(日本書紀)

 

 

要するに、ニギハヤヒは御神名を書き換えられながらも三度もアマテラスと神武に禅譲したことになっているのです。これは編纂者による意図的なプログラミングであることがわかります。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

本殿の中の気になる石碑が先端だけ見えていたので思い切り手を伸ばして写真を撮ってみました。「天照皇大神宮」と刻まれています。これはどういうこと!? 

 

 

生駒山はニギハヤヒが治めていた。天照大神の和魂がニギハヤヒだった。この神は系図を改ざんされて御神名を書きかえられた。そしてその荒魂は瀬織津姫。この女神は別名に書き換えられ、秦氏によって封じられた。

 

 

そしてここは中臣(藤原)の氏神・元春日の分霊を祀る日本最初の春日神社。藤原氏にとっての天照皇大神宮は天津神つまり女神のアマテラスなのでしょうか。

 

 

春日の神は中臣の祖神・天児屋根命(アメノコヤネ)とともに、ニギハヤヒの祟りを畏れて武甕槌(タケミカヅチ)経津主(フツヌシ)の名に変えて合祀したのかもしれない。そして春日四神の比売神(ヒメカミ)は正体不明の女神とされていますが、瀬織津姫のことです。

 

 

つまり、中臣(藤原)氏は元の神ニギハヤヒと瀬織津姫を武甕槌と経津主と比売神の名前に変えて怨霊信仰し(左回転システムの封印)春日の御祭神として祀ったのだとわかりました。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

安岡正篤(やすおかまさひろ)先生は、少年時代にこの近くに住んでおられました。安岡先生が明治四十三年四条畷中学に入学された頃、ここ善根寺春日神社の神官をされていた浅見晏斎氏に師事し「学校外で最も良き師に巡り会えた」と伝えられています。

 

 

わたしは安岡先生との面識はありませんが、わたしが師事した鈴木先生(神官)から安岡先生の東洋思想を教えていただいたことがきっかけで、安岡先生のことを知りました。もう13年ほど前になります。安岡先生のことを教わったとき、安岡先生と同郷であることを知り、何とも言えない懐かしさとご縁を感じたのでした。

 

 

実は水神宮の夢を見た数日前は、安岡先生の旧宅に行った夢を見たのでここを訪れたのです。今回、とても重要な気づきがありましたので記させていただきます。

 

 

安岡先生は天皇家をはじめ、政界財界人の精神的指導者的存在であり、昭和天皇のフィクサーとしてのお役目を担っておられました。戦時中はGHQと直接交渉された日本人唯一の人でした。日本人白痴化政策の一環である3S政策を日本国民に知らされました。

 

 

特筆すべきは、終戦の詔勅(玉音放送)の原稿は安岡先生が作成されたことです。どうか今一度、以下に挙げる「終戦の詔勅」の現代語訳のお目通しを願います。

 

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「終戦の詔勅」の原稿

 

昭和天皇 終戦の玉音放送 

 

(昭和20年8月15日)


現代訳 

 

 

私は

 

深く世界情勢と

 

我が国の現状を考え、

 

非常の手だてをもって

 

事態を収拾しようと思い、

 

私の忠義で善良なる

 

臣民に告げる。


私は帝国政府に

 

米国、英国、中国、ソ連の

 

4か国に対し、

 

共同宣言(ポツダム宣言)を

 

受諾することを通告させた。


そもそも帝国臣民の

 

安らかな生活を図り、

 

世界の国々と共に

 

栄えていくことは、

 

歴代の天皇が残してきた

 

手本であり、

 

私もそのように念じてきた。


先に、

 

米英2国に宣戦布告した理由も、

 

実に我が国の自存と

 

アジアの安定を願ったためで、

 

他国の主権を排し、

 

領土を侵すようなことは

 

もとより私の意志ではない。


しかし、

 

交戦は既に4年を経た。


私は、

 

陸海将兵は勇戦し、

 

閣僚たちも職務に励み、

 

一億国民も努力し

 

それぞれ

 

最善を尽くしたと思っているが、

 

戦局は必ずしも好転せず、

 

世界の情勢もまた

 

私たちに不利である。


そればかりか

 

敵は新たに残虐な爆弾を使用して

 

罪のない人びとを殺傷し、

 

その悲惨な被害の及ぶところは

 

計り知れない。


それでもなお、

 

交戦を継続すれば、

 

ついには

 

わが民族の

 

滅亡を招くのみならず、

 

ひいては人類の文明をも

 

破却させることになってしまう。

 

そのような事になれば、

 

私はどうして

 

多くのわが子とも言える

 

臣民を保護し、

 

歴代天皇の御霊の神殿にて、

 

私の誤りの責任を

 

謝することができようか。


これが私が帝国政府に

 

共同宣言に応じさせた

 

理由である。


私は、

 

我が帝国と共に

 

終始アジアの解放に

 

協力した盟邦諸国に対し、

 

遺憾の意を表さざるを得ない。


帝国国民においては

 

戦場で死亡したり、

 

職場で殉職したり、

 

不幸な運命で亡くなった人々や、

 

その遺族を考えると

 

悲しみに堪えない。


さらに戦場で傷を負い、

 

災禍を被り、

 

家や職場を失った者の

 

厚生にいたっては

 

私が深く

 

胸を痛めるところである。


思うに、

 

今後我が帝国の受ける苦難は

 

もとより尋常なものではない。


私の臣民の窮状も

 

私は良く理解している。


しかし、

 

私は時運(時の流れ)の

 

赴くところ(従い)、

 

耐えがたきを耐え、

 

忍びがたきを忍び、

 

将来のために

 

平和を実現しようと思う。


私はここに

 

国体を護持し得て、

 

忠義で善良な

 

臣民の良心を信じ、

 

常に臣民と共にある。


もし、

 

感情の激するままに

 

みだりに争い事をしたり、

 

同胞同士が互いに

 

手をけなし、

 

陥れたりして

 

時局を混乱させ、

 

そのために

 

道を誤り、

 

信義を世界に失うようになれば、

 

私が最も戒めることだ。


どうか、

 

挙国一家して

 

それぞれが子孫に伝え、

 

固く神州(神国)の不滅を信じ、

 

私は国家の再生と繁栄を念じ、

 

そこに至る道は遠いと心に刻み、

 

持てる力を将来の建設に傾け、

 

道義心をあつくして、

 

志を固くして、

 

日本の能力を発揮し、

 

世界の進運に遅れないように

 

努力しなければならない。


あなた方臣民には

 

私の思いをよく理解して

 

身につけてほしい。

 

 

実は「終戦の詔勅」には裏話があります。以下に挙げる安岡正篤記念館名誉館長・林 繁之氏の言葉から安岡先生の真なる思いを深くお感じになってみてください。

 

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安岡正篤先生 刪修筆跡(けずって修正した筆の跡)

 

終戦の詔勅刪修について

*刪修(サンシュウ ) 不要な字句をけずり改めて、文章をよくすること。

 

以下、安岡正篤記念館名誉館長・林 繁之

 

(月刊『致知』1984年3月号より)引用。

 

 

「私も師のお側にあって45、6年になるが、

 

自分にその学問を語る資格はない。

ここでは、

 

人口に膾炙(かいしゃ:世の人々の評判になって知れ渡ること)

 

されている終戦の詔勅刪修(サンシュウ )について

 

正確に記しておきたいと思う。

毎年8月15日、終戦の日が近づくと、

 

マスコミはその秘話を語ってほしいと、

先生に面会を求めて止まなかった。

 

そのつど先生は決まって、

「“綸言(りんげん)汗の如し”という。

 

詔勅は、陛下のお言葉で絶対のものである。

これがひとたび渙発(かんぱつ:詔勅を広く国の内外に発布すること)されたなら、

その起草にどういうことがあったかなど当事者が語ってはならない」

といって決して語ろうとはされなかった。

その先生が、この詔勅には多少の誤伝があり、

 

私が刪修したと語られるなら、

「私の学者として後世より問われる悔いも残るので、君たちだけには話しておく」


と、側近の者に一晩しみじみと語られたことがある。

先生はその刪修に当たって、

 

「義命の存する所」と、

「万世の為に太平を開かむと欲す」

 

の二点を挿入されたほか、

陛下の重いお言葉として文章についても手を入れられた。

「義命」については詔勅の中で、

 

陛下が「堪へ難きを堪へ」よ、

とおおせられておられる

 

宸襟(しんきん:天皇のお気持ち)を拝察して、

それにふさわしい天子としての

 

重いお言葉がなくてはならない。

そこで「義命」という言葉を選ばれた。

出典は中国の古典である『春秋左氏伝』。

その中の成公八年の条に

 

「信以て義を行い、義以て命を成す」とある。

従って、

 

普通にいわれる大義名分より

 

もっと厳粛な意味を持っている。

国の命運は義によって造られて行かねばならない。

その義は列国との交誼においても、

国民との治政においても信でなければならない。

その道義の至上命令の示す所によって

 

終戦の道を選ぶのである。

「万世の為に太平を開かむと欲す」も

 

「永遠の平和を確保せむることを期す」

より強く重々しい。

これは宋初の碩学・張横渠(ちょうおうきょ)の有名な格言

「天地のために心を立て、

 

生民の為に命を立て、

往聖の為に絶学を継ぎ、

 

万世の為に太平を開く」

からそのままとったものである。

いずれにしても先生は、

 

終戦の詔勅の眼目は、

「義命の存する所」と

 

「万世の為に太平を開かむ」

の二つにあると考えられた。

わが国は、

 

何が故に戦いを収めようとしているのか、

その真の意義を明確にしておかなければならない。

従って、

 

内閣書記長官をしていた迫水氏には、

どのような理由や差し障りがあっても、

この二つの眼目は絶対に譲ってはならない、

とくれぐれも念を押されたのだが、

 

閣議の席で、

閣僚から二つとも難しくて国民には分りにくいから

変えてはとの意見が出されたのである。

結局、「義命の存する所」という一番の眼目を、

「時運の趨く所」という最も低俗というより

不思議な言葉に改められてしまった。

これは永久にとりかえしのつかない、

時の内閣の重大な責任といわねばならない。

「時運の趨く所」の意味は

 

いってみれば成り行き任せ。

終戦が成り行き任せで行われたということは、

天皇道の本義に反する。

 

時運はどうあれ、

勝敗を超越して「義命」という

 

良心の至上命令に従うことで、

はじめて権威が立つのである。

戦後、日本は大きく繁栄した。

 

しかしこの繁栄の基礎に、

「信以て義を行い、義以て命を成す」。

義命が存していたならば、

 

物が栄えて心が亡ぶと

 

識者が顰蹙(ひんしゅく)するほど、

人の心は荒廃せずに済んだであろう。」

(引用以上)
  

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

わたしは「終戦の詔勅」(玉音放送)の原稿をこのたびはじめて拝読しました。なぜか涙があふれて仕方ありませんでした。わたしは戦後生まれの親に育てられた昭和50年代生まれです。特別な感情などないはずなのに、なぜか号泣してしまっていました。

 

 

自分は感情的になっているのかもしれないと思い、数日後に再度原稿を読みました。するとまた泣けて泣けて仕方なかったのでした。

 

 

深く思いを鎮めてみました。・・・これはニギハヤヒの言葉だ!と思いました。そのとき「神武東征」の国譲りの際に、ナガスネヒコに語った言葉と同じだったのかもしれないと思えてきました。

 

 

大東亜戦争(第二次世界大戦)は、もう一か月戦争が続いたら日本が勝っていたのだそうです。それなのに、勝利の道を選択せず、あえて敗戦の道を選ばざるを得なかったのは、神話のプログラミングの因果なのか、銀河の計画だったのか・・・。

 

 

ニギハヤヒは勝てたはずの理不尽な戦争にあえて負けることでひのもとの国の国譲りをしたのです。異質であることを受け入れて和合させることがこの地球が生み出された目的。和を重んじる日本人だからこそあえて苦難を甘受したのです。わたしはナガスネヒコは主君ニギハヤヒの真なる思いに触れ、涙を流したにちがいないと思いました。

 

  

勝利は敗者を生み、恨みを買う。それでは永遠に戦争を終わらせることはできない。勝てる戦争に負けるという選択はもしかしたら和合の精神を備えられた日本人にしかできないことだったのかもしれない。負けることは苦難の道であることを承知のうえで、敗戦の道を受け入れたのです。

 

 

そして『記紀』と同様、安岡先生の原稿は「改ざん」が為されていたのでした。

 

 

『日月神示』

   

マツの巻


第七帖 

 


神の国一度負けた様になって、

 

終ひには勝ち、

 

また負けた様になって勝つのざぞ」  

 

 

 

雨の巻

 

第九帖

 

 

「三エスの神宝(かんだから)と、

 

3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、

 

毒と薬でうらはらであるぞ」

 

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

天皇には表と裏がある。わたしは安岡先生の作成された「終戦の詔勅」とともに、もう一つの文書もここに挙げなければならないと感じました。それは、昭和天皇の本心が記された「ホイットニー文書」です。どうか今一度、曇りなき眼でご一読いただきたいと思います。

 

 

ホイットニー文書 

この文書は、昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約が全編にわたり記された、「極秘」扱いの、英文三頁以上にわたるメモランダムである。1946年4月から6月の間に、東京駐在の国務省員によって作成され、マッカーサーの腹心であったコートニー・ホイットニーの私物として保管された後、1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念に寄贈され、1978年に機密解除されている。


資料名
General Whitney to C-in-C, dated 24 April 1946
年月日
24 April 1946
資料番号
GHQ/SCA 民政局文書 GHQ/SCAP Records Government Section;
Box No. 2225
所蔵
国立国会図書館
原所蔵
米国国立公文書館




ホイットニー文書


「 二、三週間前に

 

占領が長く続くべきである

 

との希望を述べた

 

根拠を説明したい。

 

日本人の心には

 

未だ封建制の残滓が多く

 

残っており、

 

それを根こそぎにするには

 

長い時間がかかるだろうと

 

感じている。

日本人は全体として、

 

自己の民主化に必要な

 

教育に欠けており、

 

さらに

 

真の宗教心にも欠けており、

 

そのため

 

一方の極端から他方の極端へと

 

揺れやすい。


日本人の封建的特徴の一つは、

 

進んで人に従おうとする性格にあり、

 

日本人はアメリカ人のように

 

自分で考える訓練を受けていない。


徳川政権は、

 

民は指導者に従うべきであり、

 

そのため忠誠心以外は

 

いかなる道理も

 

与えられてはならない、

 

という論理のうえに築かれていた。

 

かくして、


平均的な日本人は、

 

自分で考えることにおいて

 

昔からの障害に直面している。

 


かなり闇雲に従うという

 

本能によって、

 

現在、

 

日本人は

 

アメリカ的な考えを

 

受け容れようと

 

熱心に努力しているが、

 

例えば

 

労働者の状況を見れば、

 

彼らは自分本位に

 

権利ばかりに注意を集中し、

 

本分と義務について

 

考えていない。


この理由は、

 

ある程度、

 

長年の日本人の思考と

 

態度における

 

氏族性に求められる。

 

日本人が

 

藩に分割されていた時代は、

 

完全には終っていない。

 

平均的日本人は、

 

自分の親戚は

 

その利益を追求すべき

 

友人とみなし、

 

他の人間は

 

の利益を

 

考慮するに値しない

 

敵と考えている。


日本人の間には

 

宗教心が欠如している。

 

私は

 

神道を宗教とは考えていない。


それは儀式に過ぎず、

 

合衆国では

 

甚だ過大評価されてきたと

 

考えている。

 


しかし、

 

たいていの神道信者は

 

超保守的で、

 

彼らと神道と超国家主義を

 

一視していた復員兵と

 

その他の者は、

 

しっかりと結びつく

 

傾向を持っているので、

 

依然として危険な面がある。

 


政府は、

 

信教の自由に関する命令を

 

厳守する立場にあり、

 

現在彼らを取り締まる手段を

 

持っていないために、

 

こうした状況は危険だ。

 

神道を奉じる分子と

 

その同調者は反米的なので

 

警戒を要すると考えている。


以上のようなことから、

 

私は

 

今は日本人のもつ

 

美点を述べている場合ではなく、

 

むしろ

 

その欠点を考える時だと

 

感じている。


私は、

 

マッカーサー元帥と

 

元帥の行っていることに

 

たいへん大きな

 

感銘を受けている。

 

また、

 

対日理事会における

 

アメリカの態度に

 

とても感謝し、

 

それが安定効果を持つと

 

感じている。

 


しかし私は今、

 

この国の労働状況を

 

かなり憂慮している。

 

日本の労働者は、


物事を真似する事において、

 

義務を等閑にして

 

自分の権利を

 

利己的に追求しやすく、

 

米国のストライキから

 

有害な影響を受けるので、

 

米国の炭坑ストが

 

速やかに解決するよう

 

希望している。

(以下省略) 」

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

わたしは神武の御末裔と名乗る女性の話を聞きました。

 

 

「天皇は神道祭祀の最高神官。皇后はそれを補佐する重要な役目。その重要な役目を果たすために、民間人ではとても務められらない厳格な作法やしきたりを踏襲してきた公家のなかから后が選ばれ、天皇家に入内することが慣習になっていた。ゆえに天皇家の婚姻は一般の結婚観を当てはめることはできない。

 

 

明治の時にニセモノにすり替えられた血筋の天皇が、何も知らない民間人と結婚してしまってから祭祀をろくに果たせていない。そのために日本はめちゃくちゃになってしまった。

 

 

そして三代にわたって祭祀が奉じられなければ天皇家は滅びる」ということをおっしゃっていました。

 

  

これを書いた直後、この記事がアップされていました。皇后さま84歳の誕生日、つづった思い

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

一方、日本神界を統べる御神業師様は本来天皇が執り行うべき御神事天皇の代わりに20年間務めてこられました。日本神界の神々からは天皇以上の存在だと太鼓判を押され、神々様から大いに頼りにされている方です。

 

 

ちなみに神界だけでなく天使界や宇宙人ともコミュニケーションをとっておられます。この地球は宇宙の壮大な計画の下創り出された惑星で遺伝子操作によって地球人は生み出されたということです。

 

 

20年前、ご夫婦でとある神社にご参拝された際、突如膨大な情報が降りてきたことがすべてのきっかけだったそうです。それから神様のご指示の通り全国各地にとどまらず外国まで聖地巡礼をされてこられたのでした。

 

 

わたしは御神業師様の奥様に御神業のすごさに圧倒されたこと、そしてその大変なお役目を長きにわたり務めてこられた労いを申しあげました。奥様は「血筋なのだと思います」とおっしゃいました。

 

 

御神業師様は「本来天皇が果たされるべき御神事をわたしが天皇に成り代わり奉じさせていただいて参りました。でももうわたしの役目は新天皇に代わった時点で完全に終わります。ただし、日本神界の神々は、天皇の生前退位をよく思っていません。そして次の天皇の代で天皇制は終わります」とおっしゃっていました。

 

 

そして「この国には必ず国難が起きることになっています・・・それは北朝鮮のミサイルかもしれません。その国難をスサノオの命がお救いになられます。これは筋書き通りに決まっていることなのです。かつてヤマタノオロチを退治した筋書きを、もう一度再現されるのです」と。

 

 

そして「この国を救う一縷の希望は、日本人が『日高見の国』の記憶を取り戻すことです」とお伝えされました。

 

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

 

去年の秋に御神業師様により執り行われた御神事は平安神宮の近くで為されました。御神業師様は日高見の国に封印されていた縄文アラハバキ神三柱を平安神宮近くにお呼びされたのです。あえて平安神宮の近くに。平安神宮の御祭神はなんと桓武天皇・・・。

 

 

縄文の神々にとって平安神宮は敵地です。縄文・日高見の国を滅ぼし、その頭領アテルイの首を討ったのが桓武天皇だったからです。その地で縄文と弥生の和合をはかられたのです。

 

 

御神業師様はその場に集まってこられた神々の多さに驚いておられました。そして歴代天皇の御霊まで集まってこられたことは予想外だったようです。もちろんわたしは「!?」の連続で何もわかりませんでした。

 

 

御神業師様は「普通の人はこの場に立ち会うことはできません」とおっしゃいました。わたしは何も知らされずにその場所に導かれたのですが、直観的に「必ず自分はそこへ行かなければならない」という思いだけがわたしを動かしていました。当時は何もわからなかったのですが、今になって思い当たることがあります。

 

  

夫の両親はふたりとも平安神宮の近くで育った人だったのです。子どもの七五三も平安神宮でした。夫の血縁者はすべて京都の人。祖父親兄弟を筆頭に六名が教育者。一方、わたしは学校の勉強はてんで苦手な河内の人間。

 

 

夫の両親はもう亡くなってしまいました。夫の父は5年前に、母は昨年奉じられた枚岡神社での「天の岩戸開き神事」の翌日に亡くなりました。

 

 

母は亡くなる数日前に京都に帰りたいと言ったので平安神宮周辺をドライブに連れて行きました。やはり人は最後の最後まで故郷を恋しく思うものなのです。土地と人との結びつきをこの時ほど強く観じたことはありませんでした。

 

 

至らないことばかりでしたが、嫁いだ以上は実家の親を切り(これを親切といいます)夫の両親に全力で添わさせていただき、15年間の長男嫁としての学びを終えさせていただいたのでした。夫の両親には心から感謝しています。

 

 

そしてわたしと夫も水と油。夫はわたしとは正反対の理系論理型唯物論者。わたしは結婚前から敵同士の因縁の結婚だとわかっていたこと、その因縁を自分のたちの代で終わらせるつもりでいることを夫に伝えました。結婚当初ならこんな話は到底受け入れられませんでしたが、今ではこういう話を理解してくれています。夫には本当に感謝しています。

 

国道170号線(筆者撮影)
国道170号線(筆者撮影)

 

わたしたちは春日神社の神様と氏子のおっちゃんたちにお礼をお伝えして神社を出ました。この日の目的を果たしたので、あてもなく南に向かいました。

 

 

走っている途中、夫がなぜか「八尾に行こうか」と言ったので、わたしは「八尾? なぜに八尾!?」と思ったのですが、八尾といっても特に用はありません。「八尾」ってヤマタノオロチっぽい名前よね~と思いながら考えを巡らせていた時にひらめいたのが「物部守屋の墓」でした。

 

河内エリア周辺地図
河内エリア周辺地図

 

物部守屋は飛鳥時代に実在した人物です。ここから先は神話ではなく歴史の領域に突入します。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

国道25号線沿いに物部守屋公は祀られていました。ここへ来るのははじめてです。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

向こうに立っている守屋公の墓石に目が止まるよりも先に、神社本庁を筆頭に有名な神社の玉垣がずらりと並んでいることに驚かされます。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

「神社本庁は、伊勢神宮を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人である。 庁が付くが、役所ではなく、民間の宗教法人である。(ウィキペディアより)」つまり神社本庁はあくまでも民間の宗教法人であり、伊勢を頂点とする神社の総元締めなのです。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

物部守屋が没したのは587年。この墳墓は明治時代に整備されたそうです。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

病に罹った蘇我馬子は仏法を信奉することを敏達(びだつ)天皇に求め、天皇はそれを認めるのですが、それを端に疫病が流行しました。物部守屋と中臣勝海は天皇に仏法の禁止を求め、天皇はそれを受け容れたのですが、疫病は鎮まらず、蘇我馬子の病も進み、敏達天皇自身も病で亡くなってしまったのでした。これらをきっかけに、宗教戦争に発展してゆきます。(詳細はウィキペディア「丁未の乱」参照のこと。)

 

 

物部守屋は「何ぞ国神に背きて、他神を敬せんや」と『日本書紀』にその言葉を残しています。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

イザナギ・イザナミの別離、

 

天照大神のすり替え

 

スサノオを悪役にして封印したこと、

 

神武天皇の即位、

 

仏教伝来

 

 

これらが「五度の岩戸閉め」であると国之常立命は再三お伝えされてきたことです。わたしは『日月神示』を知らずに「ゼネラルストーリー」を読み解いていくうちに上の4つを洞察してきました。(詳細は暗号解読Ⅱ・中級編(神話を紐解く) 参照願います)

 

  

 梅の巻

 

第十一帖

 

 

「日本の上に立つ者に

 

外国の教伝へて

 

外国魂に致したのは

 

今に始まった事ではないぞ、

 

外国の性根入れたのが

 

岩戸閉めであるぞ、

 

五度ざぞ、

 

判りたか。

 

それを元に戻すのであるから

 

今度の御用中々であるぞ」

 

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

リュウという日本の魂を目覚めさせる主人公として宇宙から降ろされた『ストリートファイターシリーズ』。このゲームには日本神界からのメッセージが刻印されています。そのことを洞察してきた中でわかってきたことがありました。

 

 

それは、神は法則であり、秩序であり、システムであるということ。その法則性や秩序、システムに逆らってしまったのが現在の不調和な三次元地球領域。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

この天の川銀河は左回転。太陽系も左回転であり、惑星の公転も左回転。地球も公転自転ともに左回転。地球で最初の日本列島創世の時代からの左回転システムの神々を封印し、外来の右回転システムである異星人(天津神)を神と崇めたことによりすべてが不調和になってしまったということ。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

かつて大調和のもと超高度文明が長きにわたり守られ続いてきたけれども、右回転システムの導入によりすべてが逆さまの世の中になってしまいました。

 

 

システムとは神。世界最古の日本神界の最高神官が天皇。天皇は神界の神々の依代となり自然界と人間界をつなぐ役目。天皇は男性しか務めることはできません。男は陽、女は陰。男は上、女は下。男は天皇、女は皇后。これらは不変の法則であり秩序なのです。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

わたしが春日神社からここへ導かれた理由がこれを書いている最中にわかりました。最後の五度目の岩戸閉めである「仏教伝来」を洞察するためだったのだと。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

仏教伝来もまた例外なく逆システムが隠れている。敏達(びだつ)天皇が病で亡くなったあと、その皇后が天皇に即位してしまったこと。それが初代女帝・推古天皇。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

女帝は逆回転システム。女性が天皇になるということは秩序(神)に逆らうことになる。自然(神)ではなく人間を頂点とするピラミッド型支配体系が敷かれ、権力闘争、分裂、政治的不調和が必ず起きている。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

イザナミの死は女性性の封印、

 

アマテラスの岩戸開きは女帝を正当化させるための詐術、

 

神武天皇は神と人との立場の逆転、

 

スサノオに着せられた汚名と排除は、真の男性性とスメラミコトの封印、

 

そして仏教伝来。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

玉垣に刻まれた名だたる有名神社の数々。物部守屋公は神社を統べる御霊として祀られているのか、あるいは「宗教」に封じられているのか。

 

 

本来のスメラミコトはスサノオーニギハヤヒーウマシマジー物部氏。しかし正統なるスメラミコトの系譜である物部守屋は滅ぼされてしまった。

 

物部守屋墳墓(筆者撮影)
物部守屋墳墓(筆者撮影)

 

上の画像中央にある石切劔箭神社はニギハヤヒとウマシマジを御祭神に祀っている。ニギハヤヒとナガスネヒコの妹(トミヤヒメ)との間にもうけた子がウマシマジ。

 

 

このHPを書くことになったすべての原点は石切神社でした。石切神社は神社庁に加盟していません。だからニギハヤヒの名前を書き替えずに祀っている。そして伏見稲荷大社も神社庁に加盟していないのでした。

 

 

物部氏は神武天皇と婚姻関係を結び、天皇の補佐として軍事の役職を担いました。以来、物部は大和と河内の有力豪族の氏族となるも、のちに蘇我氏に物部守屋が滅ぼされ没落してしまいました。

 

 

物部守屋が滅んだ後は氏姓を変えそれぞれに拠点を移しました。ある物部一族は同族の蝦夷を頼って東北に拠点を置いた。以来蝦夷とは協力関係を築いてきたのです。アテルイの時代(西暦800年ごろ)まで。アテルイは20年以上桓武天皇と戦ってきましたが、長い戦に勝ち続けてこられたのは物部の後ろ盾があったからこそ。

 

 

神武東征の際、ニギハヤヒがナガスネヒコを東北に逃がしたのは、もう一つのスメラミコトの血統を守るためだったのかもしれない。

 

大阪府八尾市太子堂周辺地図
大阪府八尾市太子堂周辺地図

 

物部守屋公の墓近くに史跡があったので足を延ばしてみました。

 

鏑矢塚(筆者撮影)
鏑矢塚(筆者撮影)

 

「鏑矢塚」は迹見 赤檮(とみの いちい)が物部守屋を射た矢を埋めたと『大聖勝軍寺略縁起』(1455)は伝えています。

 

 

物部と蘇我は婚姻関係を結んでいた。つまり同族だった。外来の「宗教」を持ち込んで対立させ戦わせて滅ぼし、滅ぼされ先住の有力豪族を没落させた。その後勃興するのが藤原氏。

 

鏑矢塚(筆者撮影)
鏑矢塚(筆者撮影)

 

縄文を徹底的に破壊し消滅させられた結果、女性性が封じられた。それ以来男性性が優位になり、戦争の絶えない歴史が何千年も続いてきた。戦争を終わらせるためには、縄文を復活させ再び女性性を開花させなけらばならない。

 

 

実はこの地球は知られざる超古代文明がいくつも存在し、何度も何度も核戦争で滅んでいる。そして現在は地球再生計画最終章のクライマックス。さて、人類は戦争を終わらせることができるでしょうか。

 

 

まずは自分の中の戦いを終わらせること。次に夫婦の和合を結ぶこと。そして家族内の和合をはかること。ミクロはマクロ。マクロはミクロ。戦争とは日常生活の「思い、言葉、行い」の延長線上で起きているのです。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

さらに歩いていくと、勝軍寺がありました。ここを訪れるのも初めてです。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

なななななんと!!「聖徳太子古戦場」ですと!? またもや古戦場!? かなりビビってしまいました。ここ一帯は物部守屋vs聖徳太子&蘇我馬子の古戦場だったということです。物部守屋公の首を洗った池もあるそうです。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

聖徳太子さん、御自らを偶像崇拝させたのですか!? 日本人に自虐史観を植えつけ、自己愛を欠乏状態にさせて他人を崇めさせる。自己愛不足は嫉妬を生み、嫉妬があらゆる不調和の渦を巻き起こす。嫉妬は他者からエネルギーを奪い続けなければ生きられない。弥生文明とは自然に逆らった右回転エネルギーでありその正体は嫉妬だったのでした。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

仏教を持ち込んだのは蘇我馬子だけではありません。秦氏の族長・秦河勝もその一人です。秦河勝は聖徳太子の側近。秦氏は神社も寺院も建立しました。つまり、これまで日本になかった「宗教」を持ち込み、自然物に鳥居やしめ縄で結界を張って神を封じ、立派な建築物と仏像に人々を崇めさせました。

  

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

縄文文明はみんなが仏陀でした。けれど権力者にとってみんなが仏陀になられては困る。仏教は仏陀の教えとはかけ離れた「宗教」だったので権力者にとっては人民をコントロールするのに都合のよい洗脳ツールだったのです。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

そして般若心経もまた、経文の改ざんがなされています。そのため未浄化霊を成仏させることができず、地縛霊や低級霊を幽界にとどまらせました。けれどまもなく幽界は完全に消滅します。地球の周波数が上昇すると幽界は魔物とともに消滅するのです。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

歴史上大きな政変が起きた裏には必ず女性天皇が関わっている。天皇とは本来天と地と人をつなぐ役目。それが王たる真の務め。しかし女が天皇になることで、天と地と人がひっくり返ってしまったのです。これが世界の仕組みの大混乱のもとであり、宇宙の法則に逆らったシステムの根本だったのです。日本神界の神々は、愛子さまの即位を猛反対しておられました。そして天皇制は次の天皇で終了するのです。

 

 

「めんどりが時を告げれば国が滅びる」法則。

 

  • 初代女性天皇 【推古】仏教伝来(宗教)冠位十二階(序列)十七条憲法の制定(戒律)。物部氏没落。
  • 二代目女性天皇【皇極】蘇我入鹿暗殺される。先住の有力豪族の滅亡。
  • 三代目女性天皇【斉明】大化の改新。唐の律令制導入。日本初の天皇生前譲位(斉明天皇→孝徳天皇)。
  • 四代目女性天皇【持統】大宝律令(律令制=中央集権制の完成)。「日の本の国」は乗っ取られ「日本」と名乗る。『日本書紀』編纂(日の本の国と歴史は完全に封印される)。

 * 二代目・三代目女性天皇は同一人物。

 

 

女性天皇はそれ以降も存在しましたが、持統天皇の代で百済系の藤原氏が日本国完全支配。日本の国体と真なる歴史は完全に封印されてしまいました。その支配体系はすみずみまで行きわたっており現在も継続中です。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

中臣鎌足の息子・藤原不比等は『日本書紀』の編纂者。神事宗源「天の岩戸開き」の神・天児屋根命(アメノコヤネ)を百済系渡来人の中臣(藤原)氏の祖神としたことにより政(まつりごと)を掌握。日本で盤石な地位を手に入れました。藤原氏は天皇家と婚姻関係を結ぶことによりさらなる権力を得て支配体系を強化していきました。

 

春日神社(筆者撮影)

 善根寺春日神社(筆者撮影)

 

藤のつるは太くて長く、そばにある木に巻きつく力がとても強力です。藤に絡みつかれた木は必ず枯れるといわれています。花言葉は「決して離れない」樹齢は1000年以上。ちなみにヤマフジのつるの回転方向は右回転です。けれどもう右回転システムは終わる。大峠とは左回転システムに戻すということなのです。

 

 

 『日月神示』

 

雨の巻

 

第十七帖

 

 

「大峠とは

 

王統(おうとう)(すのざぞ。

 

新しき元の

 

生命(いのち)と成るのざぞ。

 

神の心となれば

 

誠判るぞ。」

 

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

『大日月地神示』

 

【後巻】

 

七十

 

世を操る魔の企て

 

知らねばならん。

 

人は無知であるから、

 

まんまと騙されるのぞ。

 

(まこと)と嘘の区別できねば、

 

いつまで経っても

 

真の世は創れん道理ぞ。

 

地の靈人(れいじん)

 

人民、

 

いつまでも

 

騙されておるでないぞ。

 

金と力で支配する者らおるから、

 

世は悪しきこと

 

起こりてきたのじゃぞ。

 

魔の靈団靈人の

 

僕となりてきた人民らが

 

思考をいいように操られ、

 

世をかき乱しても来たのじゃ。

 

何万年

 

何千年と

 

繰り広げてきた

 

人の歴史であるから、

 

ますます人民には

 

何がなんだか分からんのう。

 

歴史そのものがみな

 

支配されて

 

作られてきたものであるのぞ。

 

雨、風、雷、

 

地震、津波、

 

難病奇病、

 

何もかも

 

学使いて引き起こして、

 

神に成りすまし、

 

神を悪者に仕立て上げ、

 

好き勝手し放題し続けてきた

 

悪魔の僕たちよ、

 

いよいよ立場ひっくり返りて、

 

因縁相応にみな

 

苦しまねばならん時

 

参りましたぞ。

 

すべては

 

御魂(みたま)に刻まれておるから、

 

誰も逃げ隠れ嘘は

 

つけんのでありますぞ。

 

大神から御魂に

 

まことの薬つけてやるから

 

病治るぞ。

 

悪さいたした分だけ、

 

もがき苦しまねば

 

毒出しできぬから、

 

おのおの辛抱なされよ。

 

苦しむのは

 

(おのれ)もたらした因果じゃぞ。

 

神は御魂(みたま)の中から

 

すべて視ておるのぞ。

 

隠しごと一切できぬ

 

お仕組みじゃ。

 

人民には知るはずもなく、

 

靈団靈人(れいだんれいじん)とて

 

分からんのじゃから、

 

ここで申しておくぞ。

 

神と学の(いくさ)

 

決着はとうに

 

ついておるのじゃぞ。

 

学は神のものじゃ。

 

神から与えられた学を

 

悪しき使い方したきたゆえに、

 

皆々苦しむことに

 

なりたのじゃから、

 

学は神にお返しせねばならんぞ。

 

神に成りすましてきた

 

悪魔や僕の者らも皆々、

 

これまでの悪さすべて暴いて、

 

罪と罰のお仕組みで

 

(まこと)学ばすぞ。

 

悪魔、僕らよ、

 

そなたらは

 

神に創り出された御魂(みたま)ぞ。

 

ゆえにどこまでいっても

 

神には(かな)わんのじゃ。

 

そなたらを創りたものぞ。

 

敵う訳があるまいに。

 

散々世を

 

しっちゃかめっちゃかいたし

 

気も済んだであろうぞ。

 

そろそろ宇宙全体の者たちが

 

始末つけに参りますぞ。

 

地の掃除洗濯しに入りますぞ。

 

地の星、

 

救わねばならんから、

 

いよいよ時来たぞ。

 

地の靈人。

 

人民皆々、

 

悪しき思い手放せよ。

 

洗脳されてきた歴史、

 

いよいよ終わるのぞ。

 

意識、変わるのぞ。

 

大神の氣流れ、

 

次々と良き意識となりますぞ。

 

掃除洗濯とは、

 

意識の浄化でありますぞ。

 

(まこと)の意識に戻りますぞ。

 

浄化に苦しみ喜び下されよ。

 

分相応じゃから、

 

大神、

 

悪く申すでないぞ。

 

自業自得ゆえ

 

改心なされよ。

 

縁ある人民、

 

心込めて

 

神示読み上げて下され。

 

皆々様方に

 

読み聞かせて下されよ。

 

洗脳解くお役目でありますぞ。

 

目覚めた人から順に、

 

(まこと)伝え

 

皆に聞かすお役目いたし、

 

世の立て替え立て直し

 

いたし下されよ。

 

言葉、

 

力放ちてまこと顕れる時

 

来ておるのじゃから、

 

(まこと)に目覚めた人、

 

心勇んで動き出しなされよ。

 

すべてそなたの魂の中から

 

視ておりますぞ。

 

魂は内なる宇宙ぞ。

 

大神の雛型ぞ。

 

何もかも

 

お見透しでありますぞ。

 

寂しくないぞ。

 

そなた独りではないのぞ。

 

守護靈殿や指導靈殿、

 

縁ある良き靈人らに

 

支えられて生きておりますのぞ。

 

そなた、

 

愛されておりますから、

 

喜びに生きて下されよ。

 

良き世創る御魂として

 

生きなされよ。

 

お蔭は何万倍にして

 

喜び次々与えて参りますぞ。

 

仕組み隆々、

 

後の仕上がり楽しみになされ。

 

生きる歓喜の念に浸り下されよ。

 

むーうーるーうーおーー、

 

あーらーわーれーるーー、

 

おーおーおーおーおーー、

 

わーらーわーらーわーー。

 

 

二〇一七年十二月十五日

 

大日月地大神御靈(おおひつきちおおかみおんたま) 

 

はーー〇◎、。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

『大日月地神示』

 

【後巻】

 

二十七

 

 

世の立て替え建て直し、

 

うれしうれし

 

たのしたのし、

 

あっぱれあっぱれ。

 

日の本変われば、

 

世界は変わる。

 

日の本

 

人民変わりて、

 

世界の人民

 

変わりますのじゃ。

 

まこと、日の民、

 

外国から呼び寄せて集めて、

 

まことの日の本の国の教え

 

説いて聞かせ、

 

日の本の民、

 

目醒まさせますのじゃぞ。

 

日の本の民、

 

ますます恥ずかしくなりますぞ。

 

次々に頭下げたくなりますぞ。

 

見た目、

 

外国人、

 

心、

 

日の民、

 

いよいよ掻き集めて、

 

(ひな)型顕(がたあらわ)ますぞ。

 

宇宙の雛型でありますぞ。

 

世の元からのお仕組み、

 

他の星の方々も

 

次々お顕れなさりますぞ。

 

新たな世、

 

始まっておりますのじゃぞ。

 

時代遅れならん、

 

笑われる世となりましたのぞ。

 

空見上げよ。

 

夜空眺めよ。

 

次々に顕れますぞ。

 

悪、

 

改心いたし、

 

地出ておゆきなされますぞ。

 

お役目ご苦労でありましたぞ。

 

あっぱれあっぱれじゃ。

 

神靈人(かみひと)共に

 

うれしうれし

 

たのしたのし世、

 

顕れておりますぞ。

 

神、

 

靈、

 

人、

 

獣、

 

草木、

 

虫けら、

 

皆々あっぱれあっぱれ

 

ありがたい世、

 

始まっておりますのぞ。

 

苦、

 

手放しなされ。

 

腹から感謝いたしなされ。

 

これまでの一切に

 

頭下げなされ。

 

出来た者から順に新たな世、

 

見えて参りますぞ。

 

うれしたのし

 

心のお仕組み。

 

 

かーみーいーずーるー

 

はーなーさーきーいーずーるー

 

よーのーみーたーまー

 

うーれーしーたーのーしー

 

かーわーるーーーーー

 

あっぱれはなさくよみいず

 

くのはなちりてまことはなさき

 

あらたのしあらうれしあなさやけ

 

ひふみよい

 

うるうるう

 

おろおろお

 

あーわーやーらーわー

 

えーみーたーめーえーみーたーめー

 

うーるーうーおーうー

 

 

二〇一六年三月十八日

 

大日月地(おおひつく)大神大靈(おおかみおおれい)団御靈(だんおんたま) 

 

うれしかわる。

 

勝軍寺(筆者撮影)
勝軍寺(筆者撮影)

 

さて八尾から帰ってきた翌日、またまた、たまたまお米袋が空になったのでよく見てみましたらこれでした。

 

「四天王だって・・・」( ;∀;)。

 

 

けれども今回の記事を書かせていただくことはとても恐れ多く、なかなか作業がはかどりませんでした。そんな状態のとき「日下さん」という方からお電話をいただいたのです。内容は仕事上の問い合わせだったのですが、なんでこのタイミングで「くさかさん」?? ちなみに日下さん元町長さんなのでした。(意味わかりますよね?)

 

 

そしてなんと!昨日は「河内さん」がうちに来られたのです。河内さんは御年101歳。おひとりで家事をこなし、電車に乗ってうちにいらっしゃる伝説のおばあちゃんです。周りの人は河内さんを「神様」と呼んでいます。河内の神様といえば、あの神様ですからね。

 

 

そしてつい3日ほど前は、家でぼーっとしていたときに

 

「日本人を目覚めさせてほしい」

 

という声? のような直観が来まして「歴代天皇様!?」とピンときたのでした。なんと翌日に下のLINEがキタ━(゚∀゚)━!!

 

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少年野球の大阪府連試合の連絡だったのですが、夫は「八尾!?なぜに八尾!?」と会場がずいぶん遠い場所だったことに驚いていました。一方、わたしは

 

「神武キタ━(゚∀゚)━!!」

 

 

そしてとどめのとどめ、昨日よみうりテレビで『もののけ姫』が放送されておりまして、これぞミッションコンプリートのサインだったのでした。

 

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『もののけ姫』(2018年10月26日放映「金曜ロードSHOW」)

 

ここまで書いて急に眠くなって寝てしまい夢を見ました。とても鮮明な夢で神武天皇に

 

「この国にはイスラエルが隠されているのじゃ」

 

と言われてビックリして目覚めたら5:55分でした。( ;∀;)イスラエルデスカ…。

 

 

このように偶然を装って「明確に」背中を押していただいたおかげさまで、これまでHPを書かせていただいて参りました。ともかく、縄文も弥生の神々も八百万の神々も歴代天皇御一同様も、日本人が真に目覚めることを切に願っておいでです。

 

 

『大日月地神示』

 

【後巻】

 

二十五

 

「日の本より光顕すのは、

 

元より世を治めて参った

 

因縁深き所であるゆえ、

 

いつの世も

 

雛型といたして使ってきた

 

大事な場であるのじゃ。

 

この国変わらねば、

 

世界変われぬのぞ。

 

悪魔ら皆々

 

他所の星にお移しいたし、

 

この地は新たな御魂らの光、

 

善き波動、

 

新たな周波数に

 

切り替わるのであるぞ。

 

人民の身体も変えて参りますぞ。

 

悪魔に操作されておりた身体

 

一つ一つ

 

綺麗さっぱり作り変えて、

 

他の星の方々と

 

関わってゆけるよう

 

思考回路

 

うれしたのしとなりますぞ。

 

悪魔らに切られておりた

 

頭の回転、

 

遺伝子の仕組み、

 

元に戻して参りますぞ。

 

分からなかったことが

 

次々とわかるようになりて、

 

人民みなみな御魂相応、

 

徐々に面白くなりますぞ。

 

靈性上がりた者から順であるから、

 

改心いたし

 

皆々様方のために

 

生きられる御魂から

 

変えて参りますのぞ。」

 

 

十五

 

「世の立て替え

 

立て直しに

 

心勇んでお役に生きる人民、

 

新たな世の臣民となるのじゃぞ。

 

何もせず観ておる人民、

 

新たな世の臣民

 

観させて頂きながら、

 

一から生き方学ぶのじゃぞ。

 

悪さいたして来た人民、

 

別の星へとお移りになりて、

 

同じ学び何度も

 

学ばせて頂くのじゃぞ。

 

皆々それぞれに別れて

 

納まる所へ納まるから、

 

うれしうれし

 

たのしたのしじゃぞ。

 

混ぜこぜならんのぞ。

 

海のものと山のものは

 

一緒に暮らせんのじゃ。

 

靈性相応の仲間、

 

場所、

 

生き方、

 

学びあるのぞ。

 

それぞれ相応に

 

別れて暮らすのじゃ。

 

靈の世界も同様ぞ。

 

靈も人も同じじゃと

 

申しておろうがな。

 

住んでおる世界の次元、

 

波動、

 

違うだけのことぞ。

 

御魂の資質は

 

死んでも生きておっても

 

同じじゃぞ。

 

皆々うれしうれし

 

たのしたのし

 

かわるかわる、

 

ありがたいありがたい世となる。

 

日の出の神様、

 

光、

 

浄めの力、

 

頂けよ。

 

良い氣、

 

吸いなされ。

 

悪しき氣、

 

吸い取って頂きなされよ。

 

神々様には、

 

守り給え

 

浄め給え

 

導き給え、

 

と何度でも申せよ。

 

大日月地大神

 

日の大神、

 

月の大神、

 

地の大神、

 

星の大神、

 

水の神、

 

火の神、

 

土の神、

 

雨の神、

 

風の神、

 

巌の神、

 

木の神、

 

金の神、

 

人の神、

 

ありがたいありがたい、

 

奉りてくだされ。

 

二〇一六年一月十日

 

大日月地おおひつく大神大靈おおかみおおれい団御靈だんおんたま 

 

伝える。

 

神人繋ぐ。

 

 

 

この危機的状態になってしまった地球を救うためには日本魂を目覚めさせて光を放つことが急務なのです。諸外国の方々の手本となり波動を飛躍的に引き上げ、地球を救うことが日本人の役割です。

 

 

新たな次元では神と人がひとつになって新しい地球の協同創造という重要な仕事が待っています。あなたはそのプロジェクトに参加されますか? 意識ひとつで決心してください。迷いは要りません。神様はお待ちされておられます。いまここからがスタートですよ! さあ、ともに参りましょう!!➡ブログにて継続中。